木と少年の物語です。
木は少年のことがだいすき。
どんなに時間が流れてもそれは変わりません。
この絵本は、人によって、または読む人の立場によって感じ方が違うでしょう。
わたしの場合は”申し訳ない”というような反省の気持ちを感じることが多いです…
絵もかわいいですし、難しい言葉も使われていません。
しかし、大人になっても考えさせられます。
小さい頃から読んでおくことができれば、何か少し変わったかもしれないなとすら感じます。
感じ方は人それぞれでも、ちょっとうるっとしてしまうことは誰でも同じなはず。
そんな泣ける絵本『おおきな木』が持つ歴史とはいったいどのようなものなのでしょうか。
出版社を変えても読んでほしい絵本
この『おおきな木』はもともと1964年にアメリカで出版され、これまで世界中の30以上の言語に翻訳されたロングセラー絵本です。
1976年に篠崎書林より本田錦一郎さんの訳で出版されていましたが、出版社の廃業などの理由で2010年からは、あすなろ書房より村上春樹さんの訳で出版されています。
もしかすると、その時に日本では絶版になってしまったという可能性があったかもしれません。
でも、そうはなりませんでした。
それはきっと、多くの人が「なくならずに出版しつづけて欲しい」と願う絵本だからだと思います。
万が一、今後あすなろ書房から『おおきな木』が出版できなくなるということが起きたとしても、他の出版社から再度出版されるはずです。
それは、1964年に外国で出版された『おおきな木』がまだ日本で存在していることが証明になるでしょう。
あとがきまで読んでほしい
木が少年をどれだけだいすきなのか、読み進める中ではっきりわかります。
それがすべてで、他になにか書けることといえば、絵がかわいいとか時間の経過の表現が素敵だということでしょうか。
少年をだいすきな理由は描かれていませんし、お話が始まる直前のページに書かれた”ニッキー”が誰なのかの説明もありません。
この『おおきな木』に限ったことではありませんが、そういったわからないことを自分なりに想像するのも、情報が少ない絵本の楽しみかたでしょう。
そして、村上春樹さんのあとがきにも書かれていますが、何度も読み返すことで、自分なりに物語の解釈を作るという、すごく面白い上に、役に立つ経験ができると思います。
また、村上さんはあとがきで「物語は人の心を映す自然の鏡のようなものなのです」と書かれています。
さすが村上さん、素晴らしい表現ですね〜。
つまり、自分の心次第で感じることは異なり、解釈もまた変更される可能性もあるということです。
この絵本は、blueな時に読んで欲しいと思います。
でも、次に読み返すときは、ちがう気分の時に読んでみてはいかがでしょう。
そうすることで、また別の視点からこの絵本を感じることができるかもしれません。